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木曽海道六拾九次之内 三渡野
画像:Art Institute of Chicago(作品ページ(新しいタブで開きます))(当サイトで縮小して掲載) CC0(新しいタブで開きます) 拡大して見る

木曽海道六拾九次之内 ・ 42

三渡野

きそかいどうろくじゅうきゅうつぎのうち みどの

The Sixty-nine Stations of the Kisokaido: Midono

風になびく草原の中を旅人が行く三留野の図です。小高い丘の上には鳥居と満開の梅の木があり、遠くには灰色の山並みが連なります。春先の強い風を感じさせる、明るく軽やかな一図です。

制作年
天保6〜9年頃(1835〜38年頃)
技法・形式
木版画(浮世絵)
揃物
木曽海道六拾九次之内(全71図)
描かれた場所
三留野宿(長野県)

作品について

手前の草原では、背の高い草が風で一斉に右へなびいています。その中を、頭に籠を載せた女と子ども、笠をかぶった人、腰をかがめた男が進んでいきます。右の丘には石段の道が上り、頂に鳥居と紅白の梅が見えます。

草は黄と緑の細い線を重ねて描かれ、風の向きがはっきりと伝わります。空の藍のぼかし、丘の緑、梅の花の赤が明るく調和し、左奥の灰色の山並みが画面に奥行きを与えています。

三留野は木曽川沿いの宿場で、江戸時代には妻籠と並んでにぎわいました。名は中世に木曽氏の館があり「御殿(みどの)」と呼ばれたことに由来すると言われます。天保14年(1843年)の記録では家数77軒、旅籠32軒ほどで、旅籠の多い宿場でした。皇女和宮が江戸へ下る途中に泊まった宿でもあります。

広重の担当分で、題では「三渡野」と書かれています。宿場そのものではなく近くの丘と草原を描いており、木曽路の素朴な景色を選んだ図と考えられます。人物が風に逆らって進む姿にも、春の嵐の強さが表されています。

描かれた場所の今

三留野宿は1881年の大火で本陣を含む多くの家を失い、今の町並みはその後に建て直されたものです。南木曽駅の北にある本陣跡には、焼け残った枝垂れ梅の古木と明治天皇行在所の記念碑が残っています。町並みは明治以降のものです。

どこで見られる?

展示は時期によって入れ替わります。訪れる前に、各館の展示情報を確かめてください。

この作品を所蔵する館

出典・参考

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