名画のふるさと名画と画家を地域から探す
名所江戸百景 目黒新冨士
画像:Art Institute of Chicago(作品ページ(新しいタブで開きます))(当サイトで縮小して掲載) CC0(新しいタブで開きます) 拡大して見る

名所江戸百景 ・ 24

目黒新冨士

めいしょえどひゃっけい めぐろしんふじ

One Hundred Famous Views of Edo: New Fuji, Meguro

目黒の新富士と呼ばれた富士塚と、遠くの本物の富士山を並べて描いた1図です。手前の満開の桜と目黒川の流れの向こうに緑の塚がそびえ、頂上では人々が景色を眺めています。

制作年
安政4年(1857)4月
技法・形式
木版画(浮世絵)
揃物
名所江戸百景(全119図)
描かれた場所
目黒(東京都)
遠くに見える場所
富士山

作品について

画面左に緑の塚が山の形にそびえ、ジグザグの道を人々が登っています。頂上にも人影があります。手前には満開の桜と目黒川の流れ、花見客と茶店が見えます。右奥には田が広がり、地平の山並みの上に雪の富士が浮かびます。

手前の小さな富士塚と遠くの本物の富士を並べた、見立ての趣向の構図です。空の上端の赤と、霞の黄色い帯、緑の塚と白い富士の対比が鮮やかです。

新富士は文政2年(1819)、蝦夷地の探検で知られる近藤重蔵が別邸の庭に築いた富士塚とされます。江戸では富士講の流行で各地に富士塚が築かれ、登れば富士に参ったのと同じ御利益があると信じられました。

春の部の第24図です。次の目黒元不二と対になる図で、新旧二つの富士塚を続けて見せています。改印は安政4年(1857)4月です。小さな富士塚と遠くの本物の富士を一画面に並べる趣向は、江戸の人々の富士への信仰と親しみをよく表しています。

描かれた場所の今

新富士の塚は残っておらず、跡は目黒区中目黒二丁目の辺りとされます。周りは住宅地になり、近くを流れる目黒川の両岸は今も桜の名所として春に多くの人が訪れます。跡地の近くには説明板が立っているとされます。

どこで見られる?

展示は時期によって入れ替わります。訪れる前に、各館の展示情報を確かめてください。

この作品を所蔵する館

海外の所蔵館

出典・参考

姉妹サイト

姉妹サイトで、同じ土地の別の魅力も訪ねてみませんか。