名画のふるさと名画と画家を地域から探す
名所江戸百景 深川三十三間堂
画像:Art Institute of Chicago(作品ページ(新しいタブで開きます))(当サイトで縮小して掲載) CC0(新しいタブで開きます) 拡大して見る

名所江戸百景 ・ 69

深川三十三間堂

めいしょえどひゃっけい ふかがわさんじゅうさんげんどう

One Hundred Famous Views of Edo: The Hall of Thirty-three Bays at Fukagawa

深川にあった三十三間堂を、高い所から斜めに見下ろした図です。朱塗りの長い堂が画面を横切り、その奥には木場の材木が浮かぶ水辺が広がっています。今は失われた江戸の建物の姿を伝える一図です。

制作年
安政4年(1857)8月
技法・形式
木版画(浮世絵)
揃物
名所江戸百景(全119図)
描かれた場所
深川三十三間堂(東京都)

作品について

画面の中ほどを、朱塗りの長い堂が左下から右上へ斜めに横切っています。手前には杉の木と、堂の前を歩く人々が見えます。堂の奥には道が続き、茶屋や家が並び、さらに奥には材木を浮かべた水面が広がり、帆柱が林のように立っています。堂の縁側の下を行く人々の姿も小さく描かれています。

堂の朱と屋根の灰色、水面の青、木々の緑が鮮やかに対比されています。長い堂を斜めに大きく描いて、その長さを強調した構図です。

深川の三十三間堂は、京の三十三間堂にならって建てられた堂で、堂の端から端へ矢を射る通し矢が行われました。近くの木場は材木の集まる所で、江戸の町づくりを支えていました。堂は元禄期に浅草から深川へ移されたとされ、深川の名所の一つになりました。

夏の部の1図で、改印は安政4年8月です。堂は明治時代に取り壊されたため、この図は失われた江戸の建物の姿を伝える記録にもなっています。

描かれた場所の今

深川三十三間堂は1872年に取り壊され、今は残っていません。跡は富岡八幡宮の東側、江東区富岡2丁目付近にあたり、説明板とレリーフが立っています。周辺の数矢という地名は、通し矢にちなむものです。富岡八幡宮の参拝と合わせて訪ねられます。

どこで見られる?

展示は時期によって入れ替わります。訪れる前に、各館の展示情報を確かめてください。

この作品を所蔵する館

海外の所蔵館

出典・参考

姉妹サイト

姉妹サイトで、同じ土地の別の魅力も訪ねてみませんか。