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東海道五拾三次之内 吉原 左富士
画像:Art Institute of Chicago(作品ページ(新しいタブで開きます))(当サイトで縮小して掲載) CC0(新しいタブで開きます) 拡大して見る

東海道五拾三次之内 ・ 15

吉原 左富士

とうかいどうごじゅうさんつぎのうち よしわら ひだりふじ

The Fifty-three Stations of the Tokaido: Mt. Fuji on the Left near Yoshiwara

曲がりくねった松並木の道を、3人の子どもを乗せた馬が進み、道の先の左手に富士山が見える図です。いつもは右に見える富士がこのあたりでだけ左に見えることから「左富士」と呼ばれました。

制作年
天保4〜5年頃(1833〜34年頃)
技法・形式
木版画(浮世絵)
揃物
東海道五拾三次之内(全55図)
描かれた場所
吉原宿(静岡県)
遠くに見える場所
富士山

作品について

江戸から京へ向かう東海道では、富士山はふつう右手に見えます。ところが吉原のあたりでは道が大きく曲がるため、一時だけ富士が左側に見えました。これが「左富士」で、旅人に親しまれた名所でした。

画面手前では、馬の背の鞍に3人の子どもが乗り、馬子が引いています。左の2人は前方の富士を見つめていますが、右端の子はうなだれて居眠りをしているようです。旅の途中の子どもらしいしぐさが、ほほえましく描かれています。

道の両側には太い松の幹がリズムよく並び、奥へ行くほど小さくなって遠近を感じさせます。松の間からのぞく赤みを帯びた富士と、右奥の灰色の山が、田の広がる景色に変化を添えています。

左富士が生まれたのは、延宝8年(1680)の高波で吉原宿が内陸へ移り、東海道の道筋が変わったためです。保永堂版には富士山を描いた図がいくつもありますが、原の図では画面からはみ出すほど大きく、本図では松の間に小さく置いて、旅の途中でふと目に入る富士の見え方を表しています。

描かれた場所の今

富士市依田橋町の旧東海道には「左富士」の松が残り、市が2011年に景観重要樹木に指定しています。近くには左富士神社もあり、道の曲がり方と富士の見え方から、往時の左富士をしのぶことができます。

どこで見られる?

展示は時期によって入れ替わります。訪れる前に、各館の展示情報を確かめてください。

この作品を所蔵する館

この揃物を所蔵する館(この図の所蔵は館のサイトでご確認ください)

出典・参考

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