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名所江戸百景 よし原日本堤
画像:Art Institute of Chicago(作品ページ(新しいタブで開きます))(当サイトで縮小して掲載) CC0(新しいタブで開きます) 拡大して見る

名所江戸百景 ・ 100

よし原日本堤

めいしょえどひゃっけい よしわらにほんづつみ

One Hundred Famous Views of Edo: Nihon Embankment, Yoshiwara

新吉原へ通じる日本堤を、夜明け前の月と雁の列の下に描いた一図です。土手の上に並ぶ葦簀張りの茶屋と、廓へ向かう客の行き交う様子を、高い所から斜めに見下ろしています。

制作年
安政4年(1857)4月
技法・形式
木版画(浮世絵)
揃物
名所江戸百景(全119図)
描かれた場所
新吉原(東京都)

作品について

画面右下から左上へ、日本堤が斜めに延びます。土手の上には葦簀張りの茶屋が並び、駕籠や提灯を下げた客が往来しています。右手の木立の向こうに新吉原の屋根がのぞき、左には田と水面が広がって、空には細い月と雁の列が描かれます。

上から見下ろす視点で、黒い土手の斜面が画面を大きく横切ります。夜明け前の藍の空と、茶屋の淡い黄色の明かりの対比が、夜通し人の絶えない道の気配を伝えます。

日本堤は山谷堀に沿って築かれた土手で、浅草から新吉原の大門へ向かう道でした。明暦の大火の後に吉原が浅草の北へ移ってから、通う客の道として茶屋が並び、大門の手前には「見返り柳」がありました。

冬の部の図で、次の「浅草田甫酉の町詣」とともに吉原の周りを描きます。春の部の「廓中東雲」が廓の中を描いたのに対し、こちらは外から廓へ向かう道を描いています。月と雁が浮かぶ空には、夜を通して往来の絶えなかった遊里への道の、どこか物寂しい情緒も込められていると考えられます。

描かれた場所の今

日本堤の土手は昭和の初めに崩されて道路になり、今は「土手通り」と呼ばれています。吉原大門の交差点には植え継がれた「見返り柳」と碑が残り、台東区日本堤という町名にも名をとどめています。近くの台東区千束には吉原の名残を伝える吉原神社もあります。

どこで見られる?

展示は時期によって入れ替わります。訪れる前に、各館の展示情報を確かめてください。

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出典・参考

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